記憶があいまいなのでちょっと自分用にwikiまとめますよ
実数だとしても戦力差すごいけど北の防衛線突破してクセたん歓喜
テルモピュライの戦い - Wikipedia
戦争:ペルシア戦争
年月日:紀元前480年8月
場所:ギリシアのテルモピュライ
結果:ギリシア軍の敗退
交戦勢力:ギリシア連合軍×アケメネス朝ペルシア
指揮官:レオニダス×クセルクセス1世
戦力:7,000×210,000
損害:1,000以上×20,000以上
最後まで戦闘に参加したのは、スパルタ、テスピアイ 、テバイの兵 (合計1,400人〜2,400人) のみである。
20世紀以降の学者の見解に限ればペルシア陸軍の総数を10万人以下とする推定が大半であり、平均すると6万人前後というのが妥当な数字のようである。
ほで調子乗ってお船で来たところを撃退されてクセたん涙目
サラミスの海戦 - Wikipedia
サラミスの海戦
戦争:ペルシア戦争
年月日:紀元前480年9月
場所:ギリシアのサラミス島沖
結果:ギリシア連合軍の圧勝
交戦勢力:ギリシア連合軍×アケメネス朝ペルシア
指揮官:エウリュビアデス・テミストクレス×マルドニオス
戦力:386隻×684隻以上
損害:40隻以上×200隻以上
ほで映画の最後で煽られてたのがコレ ペルシア撃退されました
てか損害見たらペルシアフルボッコじゃん
プラタイアの戦い - Wikipedia
プラタイアの戦い
戦争:ペルシア戦争
年月日:紀元前479年8月
場所:ギリシアのプラタイア
結果:ギリシア連合軍の圧勝
交戦勢力:ギリシア連合軍×アケメネス朝ペルシア
指揮官:パウサニアス×マルドニオス
戦力:110,000×約250,000
損害:死者159×死者約207,000
まあでもこっから何十年も小競り合いすんだよね 冷静に考えるとなげーな
ペルシア戦争 - Wikipedia
プラタイアの戦いと同じころ、小アジアのミュカレの戦いでギリシア側は決定的勝利をつかみ、ペルシア勢力を、北部はヘレスポントス(黒海)まで、南部はキプロスまで押し返した。さらに小競り合いが長く続いたが、両者ともに決定的な戦果を上げることなく、紀元前448年に和睦(カリアスの平和)が成立して戦争は終結した。
まあ結局ペルシアは帰っていくわけですが今度はアテナイとスパルタが険悪に
ペルシア戦争 - Wikipedia
ペルシアの遠征によって結束したかに見えたギリシアであったが、水面下では有力ポリス間の覇権争いは継続しており、特に戦後はアテナイとスパルタの権力闘争が表面化した。
それがペロポンネソス戦争につながるわけですね
ペロポネソス戦争 - Wikipedia
アテナイはペリクレスの指導の下、デロス同盟の盟主として経済力を高め、地位を強化してエーゲ海周辺に確固たる覇権を確立し、経済的にも軍事的にも積極的に拡大しようとしており、農耕をその経済の基盤とし、貴族政治を布くスパルタはアテナイの民主政治がギリシャ世界に広まる事を懸念していた。
これらを背景として、勃興する民主制と旧来の寡頭制のイデオロギー対立がポリス間の権益や帰結闘争と結びついた結果、「デロス同盟対ペロポネソス同盟」という代理戦争的構図が作られた。
引用めんどくさいのでまとめると、最初はアテナイが具合よかったんだけどスパルタに押され
しょうがないから一回和平するんだけど、今度はアテナイがケンカふっかけ
スパルタは70年前は不倶戴天の敵だったペルシアと同盟を結んだり戦闘で撃破したり
んでアテナイが負けてペロポンネソス戦争終了
なんだけどこんどスパルタが儲かりすぎて逆に中で揉めてしまいまして
そこをテーバイに攻められて負け そのテーバイもアレクサンドロス大王に征服される
と、高校の時の世界史の授業とかってつまらんけど後で調べると面白いんだよな
年末に俺はナニをやっておるのか