三沢光晴選手、ご冥福をお祈りします

深夜番組で、全日本プロレスを見ていた頃
三沢は、超世代軍の旗頭として、ジャンボ鶴田とやりあっていた
そして、川田と袂を分かって、ライバルとして戦うようになり
小橋が成長して、善戦マンから王位を窺う存在に成長していき
ハンセンの首を狩るようなウエスタンラリアット
ゴディのマットに叩きつけ沈めこむようなパワーボム
イリアムスのデンジャラスバックドロップ…
何度となく、本当に何度となく、脳天から叩き落されるような技を喰らっても
三沢は、ムックリ立ち上がった
ゾンビ三沢って呼ばれた
どんなに劣勢に立たされていても、三沢は、エルボー一つで、試合をひっくり返した
三沢が嫌いだった 強すぎて、嫌いだった


精悍で無尽蔵の体力と天才的な反射神経を誇った三沢は
エースとして一時代を築き上げた全日本プロレスを離れて
ノアという団体を旗揚げした
「今風のプロレス」という言葉が独り歩きして
ずいぶん最初は、良くも悪くも話題になったものだけど
徐々に、プロレスラーとしての三沢よりも、ノアの社長である三沢ってイメージ
動きも、全盛期ほどじゃなくなったし、体型もそうだった
いつだか、東京ドームで、藤波と初めて試合をした時に
三沢が、90年代の、全盛期の三沢の動きをしようとしていて
でも、うまくいかないところに、年齢と、俺、三沢好きなんじゃん!と思って


入場曲のスパルタンXがかかって
場内が、手拍子しながら
「みっさっわ!みっさっわ!みっさっわ!みっさっわ!みっさっわ!」
って、大合唱で
嫌いな頃は、あれがイライラしたし
三沢頑張ってるなあ、と思えるようになってからは、気持ちよかった
入場曲に、三沢コールが合ったんだよ





もう、三沢は、生きて、この三沢コールの中を歩くことはないんだ
最後まで、選手権やって…
もうちょっと、休んでも良かったのにな
ずっと選手でい続けて、社長もやり続けて


ジャンボは49歳で亡くなった
橋本は40歳で亡くなった
三沢は46歳か…


三沢!!
三沢!!
三沢!!



すごいプロレスラーだった プロレスの歴史に残るレスラーだった
十二分に、すごいことをやってのけた人生だと思います
ゆっくりお休みください ご冥福をお祈りします

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