Perfumeのライブのことをまだまだ考えている

あのライブがさまざまな文脈の上に成り立っていることを考えてる
鳴っている音楽は、基本的にテクノやハウスという、電子音楽の文脈だった
陶酔や恍惚を主目的にした音楽 精神性が高くて、自閉的
ハコは、ロックの文脈上にあるハコで、肉体性が高くて、フロアもそう振舞った
強烈な横のコミュニケーション その象徴行動としてのモッシュ
歌い踊っているのは、アイドルの文脈にある女の子たちだった
見られるもの、操られるものとしての存在の代名詞だったアイドル
その三つは、ほんの10年くらい前までは、分かたれていた


いや、テクノをやるアイドルや、ロックをやるアイドルや
テクノっぽいロック、ロックっぽいテクノ、はあったんだけれど
それをアイドルがやるときには、やはりそこにいたのはアイドルが好きそうな人たちで
テクノっぽいロック、ロックっぽいテクノ、は、同じような人たちに消費されてた


でもその三つが合わさって、彼女たちに降り立ったとき
フロアの、Divided People、うう、なんだ?日本語で…
深く分け隔てられた人間たちを、思いっきり結び付けてしまった
いろいろな文脈がそこで一つになっていた
そして文脈なんて洒落臭いものを破壊して
そこには原初の祭りが展開されていた


それを齎した彼女たちは「人形」的な存在ではなく、なんつーか
巫女みたいなもんだと思ってる
いろんなものを自分の中に宿らせて、そして祭りを祀りをそこが展開された
儀式の司祭、Master of Ceremony


音楽を彼女たちが作っていないとか
歌詞を彼女たちが作っていないとか
振り付けを自分たちで考えていないとか
そういうのはまったく関係ない


だってさ、祭りで巫女やらなんか被った人たちやらが
自分たちで振り付け考えるか?祝詞を自分で考えるか?
後ろのお囃子を自分たちで演奏するか?
してもいいけど、しなくてもそこで歌い踊る巫女は神性を宿してる
人々を踊らせ、崇めさせ、祭りを齎すものは
神、と言われると気味が悪いなら
本当に根源的な「何か」と繋がってる


と、そんな頭のおかしなことをいろいろと考えさせるくらい
とっても素晴らしいステージだったわけなんですが
彼女たちは本当に一生懸命ステージを盛り上げてくれて
そのけなげさ、そして楽しさ、そして何度も書くけども
ほんとにのっちの涙にはやられちゃったんだよ


もちろん今このときも日本の世界のいろんなところで
巫女や司祭は祭りを起こしているのだと思うけれど
自分がどの巫女や司祭に出会うかはそれこそ神の思し召しで
東京事変じゃないですが「出遭ってしまったんだ」
という心境でございます

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