写真は撮る人によってちがう そのちがいが核なのだ

家に帰るまで何時間かかったんだっちゅー話ですが、やっと書けます
ほとんど一人の人に対して書いてる写真の話なんで興味ない人はスルーして




まぁ書いてもどーってこちゃねーんですけども
ちりちりマイメンポエミー将軍ことおーると校長がBの写真をうpしててですな
2007-11-22 - 雲の磁力


こちらに置き場があるけどさすがウェブ写真ちゃんとやってたことある人は違うな
http://www.comtsun.com/photo/BUZZ/071118.html


いやー、ちがうなって思ったんだよね、同じBを撮っていてもさ
いつもスナたんの写真とは違うなーって思っていて、まぁそれはそうで
キヤノとオリの違いはあるし、レンズもかなり違うし、そういう
物理的な違いも相当でかかったんだ まぁでもコンセプトが違うけど
スナたんのは、その人のかわいらしさというか、なんというか「よさ」を
端的に素直に表そうとしていると言ったらいいのかしらね 視点が優しいよね
一番最近の写真がこちら なちこが多いのもわかる気がする
http://ais731.blog22.fc2.com/blog-entry-935.html


んで、おーると校長とアタイでは、結構似てるんですよ、装備が
校長はE-1っていうオリンパスの4年前のフラッグシップ機で
アタイはE-500っていう、その普及版と言ったらいいかね?
んで、使ってる望遠ズームレンズは全く一緒なんですね
なのに、見たときのテイストが、結構違うなーと思った 俺は思ったのよ


何が違うのか、自分のと見比べてみると、感じるのは
自分のは、なんというか、被写体のキャラクターをさらに増幅誇張させたり
被写体の後ろにある(かもしれない)ストーリーを撮りたいんだな、と
被写体が感じている(かもしれない)感情は写ることで増幅されている
そこらへんが、スナたんいわくの「アグレッシブさ」なのかも知れん
単純に言えば、物語性のある組写真好きだし
071118 BUZZ on Keyaki St. | Flickr


んでもう一度校長の写真に戻ると、なんというか、キャラクターじゃないんだな
人となり、というか、被写体の、ごく自然な、誇張されない姿がある、気がする
そしてそういう、感情の機微、みたいなところに、喜びを見出す人じゃないかな、と
そう感じたわけであります


んでね、校長の風景写真を見ていたら、その思いを強くしたわけ
http://www.comtsun.com/com2/photograph/


当たり前の日常の中にある、ちょっとした線と線、光と影の交錯に喜びを感じてる
むしろあまりドラマチックな写真は、校長にとってはトゥーマッチなんではないか
前に映画の話をしていて、自分は、ちょう中学生映画、300オモスレーつってて
校長は9時間ある中国の工場が舞台のドキュメンタリーがオモスレーつってた
ちょっとした映画の話にも、テイストの違いって出るし、写真なら特にそうだ


以前に自分が撮ってアップした王子の街とかの写真セットがあるのだけど
実はこれは輪廻転生というテーマを編集しているうちに思いついてそのようにしたのだ
あと、写真の中に文字が多い 意味をさらに盛り込んでいきたいんだよね
カメラによって日常が異化されて、地獄や極楽になってしまうというのがオモシロイ
070602 Tokyo Northern Area | Flickr


校長の写真の中の文字は、意味をあまり持ってない ただ、それがそこにあるだけ
そして、それがそこにあるということ自体が、校長にとっては喜びなんじゃないかな
http://www.comtsun.com/com2/photograph/archives/cat_all_photograph.php?page=4


そしてその真骨頂がこの記事
http://www.comtsun.com/com2/yyyy/mm/06/09/22

写真家とは何者なのだろうか。きっとそのことをずっと考えてきたのだ。僕には、この問いと随伴するように、「ふつう」になりたいという欲望がいつも走っている。嘘と欺瞞とあらゆる不自然をでき得る限り取り除いた後に残るのは、この二つの絡まりあった運動だけである。



ふつうになりたい、なんてなかなかオコガマシイ感じのお言葉だが、いやみに聞こえない
ふつうのふつうさ、そのよさに本気であこがれ、アイシテルからじゃないかと思うんだよな
校長がBEEカメからPさまを好きになり、そこからいろいろ始まってきているのは
BEEカメが、とても特殊な世界の女の子たちの、ふつう、を見せてくれたからじゃないか、と
そんな風に感じている


もし、校長がおまつりの写真を撮ったとして(あんまり撮りそうじゃないけども)
やっぱり喜びを感じるのは、おまつりのどこかに覗いているふつうさ、とか
おまつりの中で笑顔でいる人の、どこか日常につながる表情だったりするんじゃないか
と、そういう意味で言っているのですね


あ、そして、校長が飴ちゃんに今ずっぱまりそうになっているのは
飴ちゃんが、とてもとてもふつうの気持ちやなりゆきを
ふつうのスタイルで表現しているのに、それが心を打つ、と
ある意味では校長のしたかったことを、しちゃっている、から
なのかもしれない これはちょっと言い過ぎかもしれない


てかさ、今、熱はかったら、やっぱりちょっとあるので、寝ます
明日すこし出かけるはずだったのにな…チケあるんだが…うう

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